歓喜の仔 天童荒太

寄せられた言葉

「暗闇のメルヘン」松田哲夫

誠、正二、香は、東京北部の三つの区が重なる地域にすむ三人きょうだい。
父親は、多額の借金を負ったまま、突然姿を消してしまった。
意識不明で寝たきりの母親を抱えて、きょうだいは過酷な日々を送っている。
十七歳の誠は高校を中退し、昼は野菜市場、夜は中華料理店で働き、
深夜は覚醒剤のアジツケをしている。
音楽好きだった誠の耳には音楽が聞こえなくなった。
小学六年生の正二は、母親の介護を一手に引きうけているが、
学校では「くさい」と言われ、いじめの対象になる。
絵を描くのが得意だった正二の見る風景から色が消えてしまった。
幼稚園に通う香には、見えないものが見えるのだが、ニオイが感じられなくなった。
背負いきれないほどの重荷に耐えながら、
三人は、それぞれに生きる道を探っていくのだった。
あまりにも生々しく、目を背けたくなるようなプロローグ。
しかし、この重苦しい物語が映画的手法でしだいに独特のリズムを刻み始める。
例えば、誠の日常にカットバックするように、
異国の被占領地域できわどい仕事をしながら生き抜く少年リートの物語が重なっていく。
けなげに生きる三人は、絶望的な状況下に置かれても、
かすかに感じられる希望を失うことはない。
そして、三人にはそれぞれに「友」と呼べる存在があらわれ、
それによって日々の過酷な暮らしに彩りが戻ってくる。
しかし、負わされた重荷は容赦なくのしかかってくる。
そして、乾坤一擲、劇的に状況を変化させるような機会がやってくる……。
物語は、最大限に張りつめた緊迫感のまま、怒濤のようなエンディングへと向かっていく。
そして、そこでは心地よい涙が、深い感動とともに流れるのだった。
映画的手法も含めて、天童さんの物語を創造する力がのびのびと解き放たれている。
だから、重苦しいお話なのに、グイグイと引き込まれていった。
そして、「人間として生きること」の意味を、これまでにもまして深く追い求め、
また新しいステージに到達した、そんな感じがした。
この深い感動を与えてくれる物語は、終始描かれる暗い描写にもかかわらず、
これまでの天童作品にはない、メルヘンのような味わいを残してくれる。
ぼくはこの作品を、「暗闇に光をともす最強のメルヘン」と呼ぼうと思っている。

天童作品の推移を、ぼくなりに分析してみた。
天童さんのなかにある「原物語」のようなものが、
そのままに近いかたちで語られているのが『永遠の仔』、『悼む人』であり、
その原物語の外側にもう一つの物語があるのが「原物語+」で、
『孤独の歌声』、『家族狩り』(①)であり『包帯クラブ』、『歓喜の仔』(②)ではないか。
「原物語+①」の外側の物語が削ぎ落ちて「原物語」が現れ、
ふたたび外側に物語が生まれて「原物語+②」となった。
この次には、さらに「原物語+②」が続くのか、再び「原物語」が露出してくるのか、
「原物語+③」が登場してくるのか、期待しつつ待ちたいと思う。